水茎の歩み 水茎書道院

水茎60年余の歩み 水茎の門をくぐった方が3000名を越えています 世界各地にその卒業された方が活躍をされています

みなさまこんにちは 水茎道人の水木龍(りょう)こと間山陵行です。

2014-06-01から1ヶ月間の記事一覧

父子 内弟子4人で展覧会三昧の時代(水茎最盛期)

次男坊の私が書道をやってて、弟のTにも影響を与えたかもしれない 弟とは7歳違いで、小さいころからよく自転車に乗せてあちこち連れて歩いたものだった 私が高校のころは、いわゆるチョイ悪に憧れてて、道ですれ違った少しトッポイ(ヤンチャデ カッコウツケテル?)少…

間山陵行の迷い(20代)

迷い 書道の家に生まれて、運命とは今まで逆らうことなく、父のいいなりでやってきた そして19才の若さで支部教室を任された 子供は好きだったが、いきなり70名の生徒は重かった 教え方が違うとか、気のきいた会話もできない若い新米先生は悩んだ 師範の…

陵風躍進と困難の時代 その5

10周年(昭和37年) 第1回水茎展を目指して その1 方向転換 昭和35年 道場第二期の新しい道場ができて一層多忙になった父(陵風) もう一つ悩みがあった それは国柱会と立憲養正会のことだった 10代の頃の戦時中、天皇を中心とした皇国の真の世界…

間山陵行(二代目)筒井支部を任される昭和46年

第1章 その1 (先生になる決意) 昭和45年、高校を卒業した水茎次男坊の間山陵行、陵行は雅号といって、書名である 本当は自分の好きな雅号をつけたかったが、暫定の名だった いかにも陵風の仕事を行うという意味で、嫌だったのだ しかし全くいい名前が浮…

水茎と民謡と切っても切れない関係

間山陵風(父=初代)の兄は間山沢義(雲龍)二人共すでに他界されているが 兄弟9人のなかでもっとも仲のよい兄弟であった 父の実家はこんにゃく屋 父の父は間山澤次郎(明治10年生) 入内高田村出身で北片岡へ分家してこんにゃく屋を開いた 大正6年あたり…

二代目 自分の(進路に悩む)

S29年に交番で始まったが、学校向かいの土田商店、当時はたばこ店だったのか、何屋さんだったんだろうか?塩、雑貨 田舎の店ですからまぁ何でも置いていたのかもしれません。 黒石のコモセを連想するように、店の中は1.3mくらいの幅の通路がありました …

陵風躍進と困難の時代 その4 (新道場と内弟子)

S33年 子供たちが猩紅熱で一ヶ月の入院をし、ようやく退院したものの、女房の八重母さんが妊娠中で家事もままならないので、家事手伝いがずっと必要な家庭だった 私の記憶でも親戚関係のお婆ちゃんが二人、母のいとこが一人(石岡さん)、近所のおばさんが…

工藤隆君という少年は世界へ飛び出しビッグになる

(S23年生まれ 工藤隆君は福島で生まれすぐ東京へ移住、松蔭幼稚園を卒園のちに小田原で小学校へ入学。家庭の事情で離婚した生母の再婚先でもある青森市へひっこしてきた。引き取った生母はやんちゃな息子のたっての願いで義妹が通うおなじ習字教室の門を…

陵風躍進と困難の時代 その3

昭和27~33年は 初代の間山陵風は家庭をもち、北片岡(長島)に居を移してから、書道の教室を開き大きく発展する基礎作りに入っていました しかしながら子育てと女房の虚弱体質、子供達の病気と重なって家庭的には苦労の連続でした それを助けたのはほか…

陵風躍進と困難の時代 その2

水茎は昭和27年5月5日に始まったのですが、道場の開設に支援をしてくださった方々が沢山いたと聞いています。 この年はわたくし(間山陵行)が生まれた年であり、その5月5日に水茎が開設されるというのもなにか大きな縁を感じます。 初代の父=間山浅市 …

陵風躍進と困難の時代 その1

昭和29年の秋には第三子 待望の長女が生まれた(澄子) 父は当初 書の師であった蛍沢蘭川先生(本名=田中澤二氏)の政治結社が理想の村を事業として、青森と秋田の県境に田中村建設を支援していた 一家5人に 妹が誕生(二ヶ月)兄4歳、自分3歳 正月記念…

昭和29年 筒井支部教室の開始

こんにちは、水茎のブログはもう一つございます。そこでは現在の行事や作品を発表したりしています。 【水茎 ゆっくり書こう】 http://d.hatena.ne.jp/mizuki_ryou/?_ts=1338307013 ******************************************************************* 筒…