生徒がどんどん増える嬉しい悲鳴
昭和48年夏 大家の土田さんから「今度の夏に道路拡張のため、店を解体して、家は新築、残りは後方に移動させて教室は今の二倍になります」との話
願ってもない話で私はたしはワクワクいたしました
しかし教室は約一ヶ月お休みになるので、その間に生徒がいなくなってしまうんじゃないかと心配しました
新しくなるという休みなら希望につながるもんだ 心配するなという父
生徒たちには「一ヶ月間、待っててください、もし出来る人は長島の本部教室に来てください」
するとなんと15~20人はあの遠い筒井から長島まで通ってきたのでした
バスで来る人 歩いて来る人、自転車で来る人 送り迎えされた人 さまざまでした
勿論完全に休んでしまった子も半分以上ありましたが、教室が完成してヤメた子は数人程度ですみました
新しい教室は店の前面を解体し、残った部分をトタンで覆ったものでした
これしか写真がありませんので二回めです
多少右側が削られたようですね
教室は左側で以前、大学生に貸していた部屋でした。ふすまを外し畳をとり
荷物を置けるように天井ちかくに棚をつけていただいた
広さは18畳はあったと思います
また後ろに障子があり、開けるとトイレと手洗い場がありました
隣接した部屋は事務所に貸しましたので、共同でトイレなど使うのでした
それでも以前に比べて比べ物になりません
ありがたかったですね
それまで家賃は5000円だったが、大家さんから「二万」で頑張ってくださいと言われたときは驚きましたが、
二ヶ月もしないうちに、生徒が100人を突破いたしました
前の教室はお店の隣りでおよそ隔壁されてはいなく、全くのプライベートもない筒抜けでしたので、大家さんとかけ離れて、自由にのびのびと指導できるのがなにより嬉しかった
また新しくなった教室を見にくる子達が次々と訪れ、生徒たちもまた連れてくるのでした。
49年には4月だけで10人、毎月平均3~6人の生徒が入会していた時期でした
また自分も若くはつらつとしていたと自賛しますが・・・(´Д`:)
(91年だから23年前・・陵行は30代後半です)
55年ころには書道160人、そろばんが75人に達しまして
もう一人で教えるのは限界がありました
向かいの筒井小学校は1400人はいたでしょうか
その頃 浜田のほうに新しい学校ができました
「浜田小学校」です 多くの子が筒井から浜田小学校に移りました
それでも筒井小はすぐに生徒がふえるのです
学校の南側にすみれ団地、また奥の方にどんどん団地が造成されていました
まず幸畑小学校ができました それによって幸畑と松本台団地の子が筒井から
移りました 300人は少なくなったはずです
(やがて筒井南小学校もできて、筒井小は600人まで落ち込んだのです)
**************************************************************
生徒増加による混乱
ここで塾や教室を開く方のために申しますと、70人を超えると正直2人はスタッフがいないときついですね。
また時間制にしないと、一定の時間に生徒が溢れてしまいます
私もそれで悩み、今までのように気楽に生徒とふざけたり。遊んだりする余裕もなく、生徒が騒ぐと混乱してしまい、大きな声で叱ったり、言う事をきかない生徒をつい叩いたりしてしまうことがありました
(約28年前の教室内=昭和61年(1986)ころ)
それでも昔の時代でしたので、どこの親御さんも文句を言いに来る人はありませんでした(今なら大問題になりますね)
父もそうでしたが、やはり教え方が似るもので、言う事をきかないと体罰を普通にやっていましたね
(現在はほとんどいたしません)
昔はそれだけ先生は絶対だったし、信頼もあったのかもしれません
(そろばんを始めたことは、また後に詳しく書きます)
夏休みだけでもと珠算はコースを決めて A、B、Cコース に分けました
夏休みは朝にやりましたので、Aコースは9~10時、すると外に20人くらいの生徒が待っているのです Aが終わるとすぐに生徒を入れ替えてBの授業が始まります そのうちにCの3級以上の子が待っています
Bが終わるとまたすぐに入れ替えるという忙しさでした。
また自転車が溢れてしまい、大家さんがきてヒステリックに「自転車なんとかして~」と注意されることも多々ありました
生徒の中には決められたところに自転車をおかずにとんでもない場所に置く子もいて、その整理に大変でした 狙われて盗難にあうこともしばしまでした
{1976年(昭和51年)ころ、教室も狭く感じます}
生徒が多いならではの苦労でした
生徒もイライラすると、玄関の大量の靴をみて、何足か隠してしまういたずら
近くの川に捨てるという事件もあった
あるいはいたずら電話もしばしばでした
また近くの教室の先生からの文句もありました
「お宅のではうちの生徒をあからさまに盗んでるんですか?困りますな」
もちろんその逆で、私の教え方などにも問題があったはずです
よその教室にこっそり移ってゆく子がいて、それを知った時にはショックでした
一体なにが原因だったんだろう?自分の何が悪いのだろうか?
原因はいろいろ考えられました
★生徒が多くて待ち時間が多い
★先生の教え方が雑になった
★えこひいきがある(これは気をつけててもなかなか難しい問題)
★怒られてフォローがない、くやしい
★仲の良い友達がよそに行ってるので自分もそちらへ(これはやむを得ない)
★生徒間の確執やいじめ
本部などでこれを会議で相談したこともあった
まぁ解決法は先生自身がおおらかになり、生徒ひとりひとりに対し目をかけてやることに尽きると父に言われたものです
**************************************************
こうして書道と珠算と毎日教室はフル回転でした
また独身時代の20代は休みでも出てきて、習字を調べたりしますと、生徒が覗きにやってきて、中へ入ってきて自然に手伝ってくれる子もいました
するとご褒美になにかあげたくなるのもです
近所の店、またはジャスコまでいってお菓子を買って公園で遊んだりしました
あるときは生徒たちと一緒にスキー、スケート、夏休みだと岩木山の登山に何人か一緒に行きました
また海へ泳ぎにも行きました
またお母さん方も信頼してるのか、よろしくお願いしますと
お弁当を作ってくれる方もありました
夜遅く帰っても、逆に「先生疲れたでしょう、晩御飯食べて行ってください」なかには
泊まったりするほど家庭的なお付き合いをしてくださる家族もおりました
今なら信じられないでしょう
何か事件があり怪我させたら大変です
若いもんだから、いっさいその警戒もなかったようです
幸い何事も起こらなかったのは不思議です きっと守られていたのでしょう ご先祖様ありがとうございます
昭和時代はそれほど皆さまが温情が深かったのですね
まぁ平和だったのでしょう ともかくあの頃がとっても懐かしく
私の人生でも最も輝いて幸せだったかもしれません
収入ももちろん20~30代が一番稼いでおりました
今の3倍以上ですね
もちろん本部の先生に収めて私は独身時代はお小遣いだけ貰っていたのでした。