闇の支配者の手先のWHOに操られてる日本の政府は、またコロナを復活させて、国民すべてに惑沈を打たせるために、憲法を変えて緊急事態条項を決めることを急いでいます。 それはWHOが国連より強い、各国々の憲法より強い命令を下す新パンデミック条約を今年の…
子供お題「子どもの頃に勘違いしていた、ちょっと恥ずかしいこと」 小学校2~3年ころだったと思います。次男坊の私はいっつも「お前はアホだ、頭が悪い」と言われるのでムッとなるのでした。 その典型的な出来事は バス遠足でのこと、バスガイドさんが 「右…
2019年までの生活を取り戻そう私達全国有志医師の会は、現在のコロナ感染症に対する常時マスク着用・検温・消毒・黙食・学校行事制限などの感染対策は過剰であり不必要と考えます。 推奨されている“感染対策”は本当に感染予防に役立っているのでしょうか。そ…
時代の波は私の本拠地である筒井教室にも押し寄せました 大家さんの土田さんの家も30年を過ぎて変革時にありました 昔から広い土地をそのままにしておくのは無駄じゃないかとの声を若旦那さんは聞いておったはずです 2007年からその話はうすうす聞いており…
盛衰とはよく言ったもので、 水茎の大盛況時代も徐々に陰りをしめしてきたのは やはり少子化問題もあったかもしれません また、民謡の道場が離れて別々になったのもあるかもしれません また、息子たちがそれぞれ家庭をもって、本部との意志の疎通がうまくい…
生徒向けに情報を発信したり、私や会員、生徒の作品を紹介したりするブログです。 「水茎 ゆっくり書こう」 http://d.hatena.ne.jp/mizuki_ryou/?_ts=1338307013
生徒がどんどん増える嬉しい悲鳴 昭和48年夏 大家の土田さんから「今度の夏に道路拡張のため、店を解体して、家は新築、残りは後方に移動させて教室は今の二倍になります」との話 願ってもない話で私はたしはワクワクいたしました しかし教室は約一ヶ月お休…
次男坊の私が書道をやってて、弟のTにも影響を与えたかもしれない 弟とは7歳違いで、小さいころからよく自転車に乗せてあちこち連れて歩いたものだった 私が高校のころは、いわゆるチョイ悪に憧れてて、道ですれ違った少しトッポイ(ヤンチャデ カッコウツケテル?)少…
迷い 書道の家に生まれて、運命とは今まで逆らうことなく、父のいいなりでやってきた そして19才の若さで支部教室を任された 子供は好きだったが、いきなり70名の生徒は重かった 教え方が違うとか、気のきいた会話もできない若い新米先生は悩んだ 師範の…
10周年(昭和37年) 第1回水茎展を目指して その1 方向転換 昭和35年 道場第二期の新しい道場ができて一層多忙になった父(陵風) もう一つ悩みがあった それは国柱会と立憲養正会のことだった 10代の頃の戦時中、天皇を中心とした皇国の真の世界…
第1章 その1 (先生になる決意) 昭和45年、高校を卒業した水茎次男坊の間山陵行、陵行は雅号といって、書名である 本当は自分の好きな雅号をつけたかったが、暫定の名だった いかにも陵風の仕事を行うという意味で、嫌だったのだ しかし全くいい名前が浮…
間山陵風(父=初代)の兄は間山沢義(雲龍)二人共すでに他界されているが 兄弟9人のなかでもっとも仲のよい兄弟であった 父の実家はこんにゃく屋 父の父は間山澤次郎(明治10年生) 入内高田村出身で北片岡へ分家してこんにゃく屋を開いた 大正6年あたり…
S29年に交番で始まったが、学校向かいの土田商店、当時はたばこ店だったのか、何屋さんだったんだろうか?塩、雑貨 田舎の店ですからまぁ何でも置いていたのかもしれません。 黒石のコモセを連想するように、店の中は1.3mくらいの幅の通路がありました …
S33年 子供たちが猩紅熱で一ヶ月の入院をし、ようやく退院したものの、女房の八重母さんが妊娠中で家事もままならないので、家事手伝いがずっと必要な家庭だった 私の記憶でも親戚関係のお婆ちゃんが二人、母のいとこが一人(石岡さん)、近所のおばさんが…
(S23年生まれ 工藤隆君は福島で生まれすぐ東京へ移住、松蔭幼稚園を卒園のちに小田原で小学校へ入学。家庭の事情で離婚した生母の再婚先でもある青森市へひっこしてきた。引き取った生母はやんちゃな息子のたっての願いで義妹が通うおなじ習字教室の門を…
昭和27~33年は 初代の間山陵風は家庭をもち、北片岡(長島)に居を移してから、書道の教室を開き大きく発展する基礎作りに入っていました しかしながら子育てと女房の虚弱体質、子供達の病気と重なって家庭的には苦労の連続でした それを助けたのはほか…
水茎は昭和27年5月5日に始まったのですが、道場の開設に支援をしてくださった方々が沢山いたと聞いています。 この年はわたくし(間山陵行)が生まれた年であり、その5月5日に水茎が開設されるというのもなにか大きな縁を感じます。 初代の父=間山浅市 …
昭和29年の秋には第三子 待望の長女が生まれた(澄子) 父は当初 書の師であった蛍沢蘭川先生(本名=田中澤二氏)の政治結社が理想の村を事業として、青森と秋田の県境に田中村建設を支援していた 一家5人に 妹が誕生(二ヶ月)兄4歳、自分3歳 正月記念…
こんにちは、水茎のブログはもう一つございます。そこでは現在の行事や作品を発表したりしています。 【水茎 ゆっくり書こう】 http://d.hatena.ne.jp/mizuki_ryou/?_ts=1338307013 ******************************************************************* 筒…
水茎書道院は 昭和27年5月5日 青森市の長島(旧 北片岡)3丁目に教室を構えました 開設当時の写真が見つかり次第 少しずつアップいたします 写真はスキャンの仕方がわからないので、原始的に写真をカメラで撮って 修正しております 昭和28年(水茎創立…